プラントの巨大な塔槽類や複雑な配管群。それらが厳しい冬の寒さの中でも、あるいは高粘度の流体を扱っていても、何事もなかったかのように動き続けられるのはなぜでしょうか。
それは、プラントの隅々にまで「熱」を届ける低圧蒸気と、それに付随するスチームトレースという「毛細血管」が正常に機能しているからです。
タービンを回す過熱蒸気が「エリート」なら、低圧蒸気は現場を支える「実務家」です。派手な音を立てることはありませんが、ひとたびこの系統がトラブルを起こせば、配管は凍結し、計器は誤作動を起こし、プラント全体の機能が停止(トリップ)に追い込まれることさえあります。
「低圧だから、たかがトレースだから」という油断が、冬場にプラントを凍りつかせ、多大な損失を生むのです。
目次
低圧蒸気の役割と「体温」の維持
プラントにおける低圧蒸気(一般的に0.3 MPaG〜0.5 MPaG程度)の主な役割は、プロセスの加熱ではなく「保温」と「防寒」です。
- 凍結防止:水ラインや消火栓ラインが冬場に凍らないように温める。
- 粘度維持:重質油やワックスなど、冷えると固まってしまう流体の流動性を保つ。
- 計器保護:圧力計や液面計の導入管(インパルスライン)内の流体が固まらないようにする。
これらの目的を達成するために、主配管に寄り添うように細い管(チューブ)を這わせるのが「スチームトレース」です。これはまさに、プラントの体温を一定に保つための「自律神経」のような存在と言えるでしょう。
配管仕様の論理:JPI規格とClass 150の選定
低圧蒸気系統の配管設計において、基準となるのはJPI(日本石油学会)規格です。低圧とはいえ、蒸気である以上、圧力容器としての健全性が求められます。
管材とフランジの選定
通常、低圧蒸気ラインには以下の仕様が適用されます。
管材:SGP(配管用炭素鋼鋼管)または STPG370(圧力配管用炭素鋼鋼管)。
フランジ:JPI Class 150(PN20相当)。
ガスケット:低圧であっても、蒸気の浸透性を考慮して「渦巻き型ガスケット(ボルテックス)」の使用が一般的です。
トレースチューブの材質
主配管に巻き付けるトレース管には、施工性の良い銅管(Cu)や、耐食性に優れたステンレス鋼管(SUS304/316)の1/4インチ〜1/2インチ径が用いられます。特に腐食環境が厳しいエリアや、長寿命化を狙う設計では、ステンレスチューブが選定されます。
スチームトレース設計の要諦:JPI-7S-15に基づく作法
トレース設計には、単に管を這わせれば良いというわけではない「作法」があります。設計担当者が守るべきポイントは以下の通りです。
コンパウンド(伝熱セメント)の活用
チューブと主配管の接触面は「点」でしかありません。効率よく熱を伝えるためには、接触部に熱伝導性の高い「伝熱セメント(ヒートトランスファーコンパウンド)」を塗布します。これにより、伝熱面積が飛躍的に拡大し、安定した保温が可能になります。
トレース回路の長さ制限
一本のトレースラインを長くしすぎると、末端で蒸気が全てドレン化してしまい、保温能力がなくなります。蒸気圧力にもよりますが、一般的に一つの回路は30m〜50m程度に制限し、適宜スチームトラップを設置してドレンを排出する設計が求められます。
ポケットの排除
トレース管に「水たまり(ポケット)」ができると、そこでドレンが滞留し、蒸気の流れを阻害します。施工時には、常に蒸気が流れやすい「下り勾配」を意識し、立ち上がり部がある場合はその直前にドレン抜きを設けるのが論理的な設計です。
スチームトラップ配置の重要性:低圧ならではの難しさ
低圧蒸気系統において、最もトラブルが多いのがスチームトラップです。
加熱能力(Q)の計算 Q = m×h_fg
飽和蒸気から熱を奪うには、ドレンを速やかに排出して常に「新鮮な蒸気」を供給し続けなければなりません。しかし、低圧蒸気はもともとの圧力が低いため、トラップの出口側に背圧(バックプレッシャー)がかかると、ドレンを押し出す力が不足し、すぐに「ドレン詰まり」を起こします。
トラップの選定においては、以下の点に留意してください。
- ディスク式:構造が単純で堅牢ですが、低圧では作動が不安定になることがあります。
- 定温温調式:トレースラインでは、ドレンの顕熱も有効利用できるこのタイプが多用されます。
- 設置場所:点検しやすい高さに設置するのはもちろんですが、トラップの前には必ず「ストレーナ」を設置し、配管内の錆による弁座の損傷を防ぎます。
定検工事(SDM)における急所:監督員がチェックすべき事項
定検工事は、普段保温材に隠れて見えない「裏方」の状態を確認する唯一のチャンスです。工事監督員の皆さんは、以下の3点を徹底的にチェックしてください。
CUI(保温材下腐食)の魔の手
低圧・トレース系統は、中高温(100度〜150度付近)で運用されることが多いため、保温材内部で水分が蒸発・凝縮を繰り返し、最も配管腐食が進みやすい温度帯にあります。
特に、トレースチューブが主配管を貫通する「保温材の切れ目」は、雨水の侵入経路になります。定検時には、これらの箇所の保温を剥ぎ、主配管の肉厚が維持されているかを厳しく確認してください。
トレースチューブの「折れ」と「接触」
保温材を復旧する際、中の細いステンレスチューブを足で踏んで潰してしまったり、急激に曲げて「キンク(折れ)」を作ってしまったりする不具合が多発します。
これでは蒸気が通りません。復旧前に必ず「通気テスト」を行い、末端まで蒸気(またはエアー)が届くことを確認するのが、プロの監督員の仕事です。
バイパス弁の閉止確認
定検中の仮設作業などで、トラップのバイパス弁を開け放しにすることがあります。これがそのまま運転に入ると、せっかくの蒸気がドレン回収ラインへ「吹き放し」になり、莫大なエネルギー損失となります。
全トラップのバイパス弁が「閉」であることを確認し、封印(ワイヤーロック)を施すのが確実な管理手法です。
論理的に考える「凍結防止」の設計条件
設計担当者が「最低気温」をどう設定するかで、トレースの仕様は決まります。 例えば、「過去30年で最低の気温」をベースに、さらに「風速10m/s」という条件を加味して熱損失を計算します。
この計算結果に基づき、トレースの本数(1本か2本か)や、保温材の材質(ロックウールかグラスウールか)、厚みを選定します。
「低圧だから適当でいい」という考えは、論理的な設計ではありません。全てのトレースには、プラントを守るための「計算された根拠」が必要なのです。
低圧蒸気やスチームトレースは、プラントを華やかに彩る主役ではありません。しかし、彼らが黙々と熱を運び続けることで、初めて巨大な装置は安全な稼働を維持できます。
定検工事の際、無数に走る細いチューブを見て「面倒な仕事だ」と感じるかもしれません。しかし、その一本一本が、冬の吹雪から計器を守り、重油の流動性を支えているのです。